1→10drive試作室のお手伝いをしています
京都発祥、オフィスは東京天王洲にある1→10drive,inc.のお手伝いをはじめました。
1→10drive,inc.は、デジタル技術のプロ集団1→10ホールディングスのグループ会社で、「ブランド・プロトタイピング」というコンセプトを掲げ、モノやサービスにおけるプロトタイピングから商品開発までを手がける組織、のようです。
「プロトタイプ」というのはふしぎデザインのやりたいことの一つにど真ん中なので、一緒にお仕事できてとても嬉しい!
進めていることについてブログに書いてもいいですか?とお尋ねしたところ、いいですよと快諾いただいたので書いちゃっております。
ポストイットを使ったブレストとか久しぶりにしました
お話をお伺いすると、製品開発やブランディングだけでなくプロモーションに関わる仕事も多いようなのですが、興味深いのはその仕事のスタイル。さまざまな企業から仕事を受ける際に、自組織で開発した「プロトタイプ」を組み込んだ提案を得意としているとのこと。
そして、その種まきをするためのプロジェクトが、今回協力させて頂く「1→10drive試作室」というものです。それはどんなものなのか?
例えば、こちらの「snipAR」というARを使った体験型シューティングゲームは、最初は1→10drive試作室のプロトタイプとして生まれたものですが、その後名古屋テレビ放送とコラボレーションする形で、クライアントワークとして再デビューしています。
これが、
こうなる
クライアントワーク版ではプロモーションとして映えるための工夫がなされていますが、その中心にあるのはあくまで自社の技術をベースにしたプロトタイプ。自分たちのスキルが強いとこういう仕事ができるのだな…と勉強になります。
さて、今回1→10drive試作室のプロトタイプ制作のテーマとして、「家電、家具、文具を拡張する」というお題が出ています。これに対して、社内のデザイナー金子さんを始めとしたチームに加わり制作にあたっています。
アイデアを出して、絞り込んで、広げて、モックを作り、壊してまた作る…という、ものづくりのきわめて王道的なフローにのっとって作業を進めていますが、「なにを作る?」というところから考えるのは自分にとってとても新鮮。さらに、考えたものを実現するためのスキルがめちゃくちゃ高い方々と一緒に仕事ができるのが面白いです。実際、先日の打合せで提案したアイデアについて、エンジニアの長谷川さんから「技術的に不可能そうなものはないですね」と力強いコメントを頂きテンション上がりました!
せっかくなので、描いたスケッチも(掲載許可を頂き)チラ見せしますね。
今は「何を作るか」のアイデアがまとまった段階。
これから、「どんなものを作るか」「どんなふうに作るか」を考える段階に移ります。ある意味、ここからがデザイナーとエンジニアの腕の見せ所!自分の技術を役立てられるよう、はりきっていきますよ〜〜〜
愛知デザインツアー② 「暮らすひと暮らすところ」を訪ねて犬山に
愛知デザインツアー後半は、最近お知り合いになった戸田祐希利さんの事務所「暮らすひと暮らすところ」について。
戸田さんの事務所は名古屋市内から名鉄で30分ほど行った犬山という町にある。
犬山は織田家によって建てられた「犬山城」の城下町で、当時の面影を残すこざっぱりとした町並みが印象的。有松よりも、もう少し観光地のような雰囲気があるように感じた。
城下町の通りを下ったところにある商店街の一角に、「暮らすひと暮らすところ」の事務所がある。
古いビルの1Fに素敵なレストラン、2Fにギャラリー(訪れた日は休みでしたが)、3Fに事務所という区分けになっており、その空間の魅力にすっかりやられてしまった。とにかく写真を見てください!
1F入り口
階段は3Fまで吹き抜けになっている
この建物はもともと町の家具店が入っており、1-2Fをレストランのオーナーが改装し、3Fに戸田さんが後から入ったのだという。
作業スペースに加えて、仕事で作ったものを見られるショールーム、撮影ができるスタジオ空間もあり、なんでもできそうな空間。すごい…!
ショールームスペースの奥に戸田さんの机がある
事務所にお邪魔し、戸田さんのお仕事についてお話をお伺いすることもできた。
上の写真に写っているのは、琵琶湖の固有種「イケチョウガイ」の殻を使ったボタン。イケチョウガイはアコヤ貝のように真珠を取るために養殖される貝なのだが、ものすごく希少で手に入りにくい。その殻はもともとボタンを作るのに使われていたが、生産量はとても少ない。そこで、ボタンを作るために切り抜かれた余白の部分に穴を開け、ランダムな形状のボタンを新たに作ったのだという。
ボタンはジュエリーのように一つ一つ、金の針と一緒に包装されている。「ボタン」という形を取ったプロダクトではあるが、その背後にある物語まで含めて丁寧に綴られた仕事なのだと感じた。
初めてお会いしたときにもお伺いしたのだが、戸田さんご自身は「自分をデザイナーだと思って働いているのではない」という。
自分が何かものを作る、企画する、という考え方よりも、工場や産地の作り手と一緒になってその思いを手助けする、調整するという考え方で仕事をしているとお話ししていた。
魅力的なものをたくさん生み出している実績がありながら、「これは自分の作品です!」というのではなく、あくまで生産者に寄り添いながら働く、手伝うという姿勢を感じた。控えめでありつつ、確かな仕事を積み重ねているのはとても格好いい…!
僕はわりと出たがり、というか自分本位で考えてしまうことがあるので、自分の姿勢を考えてみるきっかけを頂いたような気がします。
事務所でお話をお伺いした後、犬山城にもご案内頂いた。
天守閣は当時の木組みが残っており、プロポーションもなんだか可愛らしい。さすが城!というような太い梁と柱を見ながら階段を上がっていくと、木曽川を望むてっぺんの部屋まで登ることができる。
この日は曇りだったが、晴れの日の木曽川は太陽の光を受けてとても美しいという。
犬山は温泉もよいらしい。城下町も少しだけしか見られていないので、次回来たときには温泉につかってゆっくりするのも良いなあ。。
戸田さん、色々とお話いただきありがとうございました!
愛知デザインツアー① ARIMATSU PORTAL PROJECTと有松秋祭り
先日、京都工繊大に勤務するデザインリサーチャーの浅野翔くんに誘われて、彼らの拠点から秋祭りを見るイベントに参加してきた。
場所は愛知県の有松。名古屋から名鉄で30分ほど南下したところにある、古くからの街並みが残る街道沿いの町だ。
浅野くんは以前から有松を拠点に「ARIMATSU PORTAL PROJECT」という地域デザインを自主的に試みていて、それが気になっていたので今回お邪魔させてもらったのだった。
経緯を聞いてみると、もともと名古屋の建築事務所で働いている松田考平さんという方が発起人となり、有松駅近くにある「山田薬局」という建物を借り、「有松という町の入り口(ポータル)になるような場所を提供する」という目的で運営しているとのこと。
入り口といっても観光案内所ではなく、例えば外部のクリエイターが有松に興味を持ったときのガイド役になったり、染色工場(「有松絞り」という絞り染が有名)の工場見学を手配できたり、オリジナルの土産物を販売したりといった、より地域のものづくりに入り込むようなもののようだ。
イベントは有松の秋祭りを見ながらの食事会だったのだが、建築やプロダクト、webのデザイナーさん、また名古屋市に勤務されている方や有松の街に住む方に聞き取りをされている弁護士さんまで、いろいろな背景をもつ人が集まっていた。
同年代やフリーランスの方が多かったのもありお話もとても面白かったし、持ち寄り形式の会は気楽でよかった。(お刺身を持っていったら醤油がなく…失礼しました)
何より、町内の方が山田薬局の前を通りがかるときに「よう!今日はなにやってんの?」みたいな感じで声をかけていくのがとても良かった。地元の方にきちんと認知されているというか、「近所でなんか新しいことをやってる奴ら」みたいな捉えられ方をされているようで、見ているこちらもなんだか嬉しくなる感じなのだ。
有松の秋祭りは街並みが保存されている地区を3つの町内会の山車が巡るもので、からくり人形が搭載され、提灯がたくさんぶら下げられた山車が曳き回される様子はとてもパワフル!
夕闇があたりを包むと、蝋燭を光源にした提灯がちらちらと瞬きはじめる。山車を迎えるように町の人々のざわめきが広がり、山車を引く若衆の掛け声と溶け合って祭り特有の高揚感が一帯に漂う。
有松の一年の中でこの時期が一番綺麗なんだよねと語る浅野くんは嬉しそうで、こちらも良い機会にお邪魔できたな〜と嬉しくなった。
また来ます!といってその場を後にしたとき、本当にまた訪れ、みなさんと話をしたいなと思った。
また来ます!
デザイン事務所「ふしぎデザイン」を設立しました
この度、2017年4月まで勤務した象印マホービン株式会社から独立し、デザイン事務所「ふしぎデザイン」を東京に設立いたしました。
お知らせするのがすっかり遅くなってしまいましたが、もろもろ準備が整いましたので、こうしてブログを書いている次第です。
今までお世話になった皆さま、これから出会うはずのみなさま、どうぞよろしくお願いいたします!!
なぜ独立したのか
一言で言って、象印マホービンは暖かい、とても良い会社でした。
そんな良い会社をなぜ飛び出したのか?
その理由は、「工業デザイン=ものづくりに関わるデザイン」の可能性を試してみたい、もっと拡げてみたいと思ったからです。
工業デザインは、その名前の通り工業製品の製造プロセスの一部として発展してきた分野です。
その中で、僕の関わってきた家庭用品という分野では、デザインは「もっと快適なもの」「もっと便利なもの」「より美しいもの」を生み出すためのスキルでした。これはとても良い価値の生み出し方だと思いますが、一方でその価値は、既に市場に溢れ、飽和しているようにも見えました。
仕事をするうちに、もっと違う、新しい価値を生み出すための方法としてデザインの力を活かせないか?という問いかけが、だんだん自分の中で大きくなってきました。
後戻りできない人生、ひとつここで舵を切ってみようと決断したのです。
「ふしぎデザイン」はどんなデザイン事務所か
Webサイトのaboutページに、ふしぎデザインのステイトメントを掲載しました。
プロダクトデザインは、主に快適さや美しさといった価値を作り出すために活用されてきましたが、現代の市場ではそれらの価値は既に普及し、飽和しています。そのような状況下で求められているのは、ユーザーの心を動かし共感を生むデザイン、そしてプロダクトだと考えます。
ふしぎデザインは、そのような新しい価値としての「ふしぎ」を探求し、生み出すことを目標にしています。
一つ前の段落でも書きましたが、「便利なもの」「美しいもの」「快適なもの」を作る、という以外に、デザインの力を使って生み出せる良いものがあるんじゃないか、という問いを自分に向けて立てました。
それについて自分なりに考えた答えが「使う人の心に触れるもの」です。
ユーザーを感動させるというとちょっと大げさですが、喜ばせたり、驚かせたり、ほっとさせたりすることは強い価値だと思いますし、時には(不良品のようにではなく、悲劇のように)悲しませたりすることだってあってもいい。それだって、もしかしたらものすごく大きな価値になるかもしれません!
例えば、昨年の秋に発表した自主制作プロダクトTRAVELLIUMは、旅行中の写真を感熱紙に印刷してくれるという機能を通し「旅の情緒を膨らませ、追体験させる」ことを価値の中心においてデザインしました。
これをデザインした体験を通して、情緒的なものから価値を生み出すことができるんだ!と気づくことができ、そうした「ユーザーの心に触れるもの」を一言で、かつキャッチーに表すことのできる言葉として、「ふしぎ」という言葉を選びました。
我ながら、覚えやすく親しみやすい、なかなか良い名前だと思います。
「ふしぎデザイン」は何ができるのか
さて、ふしぎデザインは、具体的に何ができるんでしょうか?
働き始めるにあたって、僕は以下の2つの仕事を提供できると考えています。
①工業デザインの仕事
僕のスキルの中心には、インハウスデザイナーとして働く中で培った工業デザインの技能があります。製品開発プロセスの中に入りこみ、以下の技能を活かして、ものづくりのお手伝いを上流から下流まで行うことができます!
・どんなものが必要かリサーチして、デザインコンセプトを設定する技能
・コンセプトに立脚して、デザインのアイデアを展開する技能
・アイデアを見える化し、誰にでもわかりやすく評価できるようにする技能
・製品の形やインターフェースを検討し、提案する技能
・製品の色を検討し、提案する技能
・提案した色/形を、実際の製品に実現可能な形で実装できるように調整する技能
ちょっと言葉が硬くなってしまってすみませんが、要するに、「まだここにないものを想像して、現実化するお手伝い」ができます!ということです。
②工業デザインのスキルを応用した、幅広いものづくりの仕事
こちらが「ふしぎデザイン」の特色になる部分です。
上記した「工業デザインの技能」は、最終成果物が工業製品でなくとも活用することができます。
アイデアを見える化する技能は製品開発に限らず様々なプレゼンテーションに必須ですし、色と形を詳細に検討する技能は、アート作品やインテリアの外装設計にも使えます。どんなものが必要かリサーチして、コンセプトを立てる技能を応用すれば、教育や地域活性化の課題に取り組むための強い武器にもなるでしょう。
例えば、以下の事例では、最終成果物は住宅とそれに付随するアタッチメントですが、アイデアの見える化や形の検討という技能を使ってスタディを繰り返し、コンセプチュアルなテーマを実際の部屋として落とし込むことに貢献しました。
このように、ふしぎデザインは、工業デザインの技能を拡張し、新たな業務領域にチャレンジすることも目指しています。
「デザイン」というてこ( =技能)を持って旅をし、いろいろな方法で石を持ち上げる(課題を解決する)ようなイメージです!
というわけで、今後働いていく中で、主に以上の2種類の仕事を提供することができます。
仕事をする中で、ステイトメントに掲げた目標に向かって努力することももちろんですが、きちんとした成果を出し、いろいろな方の役に立つことができれば良いなあと考えています!
最後に(再びごあいさつ)
今は新しいことを始める高揚感と不安で日々どきどきしていますが、幸いなことに、いくつかのお仕事の機会をいただき、少しずつ働きはじめることができそうです。
仕事を通して、まだ会ったことのない人に出会えること、行ったことのない場所に行けること、見たことのないものを作り出すことを心から楽しみにしています。
「ふしぎデザイン」と秋山慶太を、どうぞよろしくお願いいたします!
センス・オブ・ワンダー
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読んだ。
- 作者: レイチェル・L.カーソン,Rachel L. Carson,上遠恵子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/07/01
- メディア: 単行本
- 購入: 15人 クリック: 96回
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この本は、想像力を育むための方法と自然の美しさについて触れたものだ。
「センス・オブ・ワンダー」という言葉が有名なので、読んだことはなくてもこの言葉に触れたことのある人は多いと思う。
著者のカーソンが甥のロジャーを連れて、メイン州(いま検索したらアメリカ最北部の州だった、ほぼカナダ)の海沿いにある別荘の回りを散策し、わあ綺麗、すごい、と感嘆する。描写される自然の情景は本当に美しい。
この本には何点かの写真が挿入されており、それがまたそれぞれ良い。
清流、海の上の月、水の滴るコケなど…と、それらを見ていて、自分も中学生のころにコケの写真ばっかり撮っていた時期があったよなあと思い出した。
父がこの時代としては良いコンパクトデジカメを買って、それを使わせてくれたので、嬉しくなってどこかに行くたびに写真を撮っていた。たぶん中学生くらいだったんじゃないかな?
この頃は友達も少なくて、いかにも暗い学校生活を過ごしていたのだけれど、こんな写真ばかり撮っているようじゃしょうがないという気もしないでもない。
ただ一方で、今の自分よりも自然なるものへの敬意とか好奇心を、強く持っていたのだなあと思う。コケって色んな形があって、寄りで見るとミニチュアの森みたいで楽しいんですよ。ナウシカの腐海みたいというか。
山行きたい〜けど今年はちょっと余裕ないなあ、と山の日に思う。
ムーミン谷の冬
数少ない、何度も読み返してしまう本に「ムーミン谷の冬」がある。
家族や仲間たちがみな冬眠する寒い季節に主人公のムーミントロールが目覚めてしまい、今まで知ることのなかった雪と暗やみの世界に触れる、というお話だ。そこでは明るい夏の世界とは違った生きものや魔法、ルールが存在していて、ムーミントロールは戸惑いながらも彼らの世界に踏み込んでいく。
冬の世界にはいろんな奴らがいる。さばさばとした性格のおしゃまさんやちびのミイもいれば、恥ずかしがり屋の小さなトロールもいる。流しの下には言葉の通じないかんしゃく持ちが暮らしているし、すべてを凍らせてしまうきらわれ者のモランもいる。ムーミントロールは最初、夏の世界とあまりに違う彼らの流儀や態度に驚き、ときに腹を立てたりもする。
自分と違う価値観をもつ人物を受け容れることは難しい。衝突もあるだろうし、ちゃんと分かり合えることなんてほとんどないと思ってもいいだろう。だけど、物語の語り手は、異質な存在、なんだか分からない暗くて小さい奴らのことを、寄り添うような優しさと寛容さをもって描写している。それがなんとも心地よいのだ。
”この世界には、夏や秋や春にはくらす場所をもたないものが、いろいろといるのよ。みんな、とっても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかの人たちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしない生き物とかね。その人たちは、一年じゅう、どこかにこっそりとかくれているの。そうして、あたりがひっそりとして、なにもかもが雪にうずまり、夜が長くなって、たいていのものが冬のねむりにおちたときになると、やっとでてくるのよ」「あんたは、そういう人たちのことを、よく知ってるの」と、ムーミントロールはききました。「すこしはね。たとえば、流しの下の住人なんか、とてもよく知ってるわ。だけど、あの人は、だれにも知られないでくらしたいと、こうねがっているんだもの、あんたを紹介するわけにはいかないのよ」こう、おしゃまさんは答えました。”
物語の後半には、そうしてできた奇妙な秩序を壊す存在として、おせっかいやきのヘムルが登場する。スキーを履いてやってくる、あふれるエネルギーの権化のように描かれるヘムルは、物語の冒頭におけるムーミントロールと同じく、冬へずかずか踏み込んでくる、招かれざる客として描かれる。このキャラクターの出現によって、ムーミントロールは「冬」というコミュニティの部外者と当事者、両方の立場を経験することになる。物語の前半では踏み込む側として、後半では踏み込まれる側として。
無神経でおせっかいやきなヘムルのことをムーミントロールはどうも好きになれない。なんでほっといてくれないんだろう?自分のやり方を押し付けるのはやめてくれ、と。でもその後に、冬に足を踏み入れた時の自分もそうだったことに気づく。
結局、 へムルは冬の住人たちとは共存せず、春を待たずに別の土地に旅立つことになる。だけど、 彼は全くの邪魔者というわけではなかった。小さいはい虫のサロメちゃんと、しょぼくれた犬のめそめそにとっては彼は救世主だったし、ムーミンだって彼のことを「好きになりかけて」いた。このように、作者のヤンソンはこのヘムルにも優しい視線を向ける。
そのしるしとして、ムーミントロールは最後に「なつかしき友のヘムレンさんへ」と記したいちごジャムをひと瓶プレゼントした。彼がいなくなってほっとした気持ちと、少しの後ろめたさを抱えながら。
✳︎
この物語は、北欧の冬を描いたファンタジーでありながら、同時に「居場所」について考える本なのだと思う。世の中には多様な価値観と暮らし方を持ったものたちが無数に存在し、それぞれはお互いに共存できないものもある、というリアルなメッセージが、優しい文体と幻想的な挿絵の世界の中に隠されているのだ。
だけど、そのメッセージには続きがある。共存できなくてもいい、みんなで一緒にいることだけが良いことではない、各々の居場所でよく生きていくためには、全員に同じことをさせて同調するよりも、お互いの「分からないところ」をそのままに認めることこそが大事なのだと。
この短い小説を読むたびに、僕は著者ヤンソンの思慮深い優しさを感じる。
「優しくしてあげる」こととは違って一見そっけないように見える、でもほんとうの優しさを持った行いが、不完全な存在として描かれるキャラクターたちによって、ちぐはぐに、しかし誠実になされていくこと。それはちょっと感動的だ。
(写真は8年前ドイツのベルリン近郊に旅行したときに撮影したものです)
もののけはどんな姿をしているか(もののけデザイン3)
「もののけ」をデザインするにあたって、前々回では「もののけとは何か?」ということ、前回では「もののけとプロダクトの共通点」について触れた。
そこで、今回はこれまでの展開を踏まえて、「もののけプロダクト」はどのような形をしているのか?というトピックについて考えることにする。
「ひとがた」という考え方
人形(にんぎょう)というものがある。
人のかたちを模して作られたもので、子どものおもちゃとして使われたり、過去には呪術の道具や身代わりとしても使われたものだ。仏像をはじめとした偶像もこれに含めてもよいと思う。
人形には、雛人形やドールのようなリアルなものから、こけしや陰陽師が使う形代のようなデフォルメされたものまで、バリエーションがほとんど無限に存在する。
これらは「人のかたちを真似る」という共通のデザイン要素を持っている。その目的や用途は様々だが、人のかたちを取り入れることで、ものに感情移入させたり親しみをもたせたりすることができたのだろう。実際にそれが作られたときには、そんなことは考えられていなかったとしても。
人形は「ひとがた」という言葉で言い換えることもできる。このブログの文章の中では、いわゆる「ぬいぐるみ」を指す「人形」と区別するために、人のかたちを真似た一連のプロダクトを「ひとがた」と呼ぶことにする。(ところでカタカナの「ヒトガタ」で検索すると、都市伝説が出てくるのでおすすめしません…笑)
僕は、「もののけプロダクト」のかたちは、ひとがたをベースにしたものがよいと考えている。初回の文章で例に挙げたロボホンやpepper、boccoなどのように、人の暮らしの中にある知性あるものは、人に準ずる形をしている方が自然に受け入れられると感じるからだ。
ただし、その形状は、ドールやマネキンのような、人の容姿をトレースしたものではなくて、こけしやだるまのような、人の容姿をデフォルメしたものとしてデザインしたい。
これは個人的なデザイナーとしての勘に基づくものなのだけれど、あるプロダクトがあんまり人に似ていると、人のフェイクのような印象を与えることになってしまい、ユーザーを怖がらせたりしてしまいそうだ。それよりは、「人っぽい」くらいの印象のかたちの方が、使う人も「自分たちとは違うやつらなんだけど、仲良くしてくれそうだな」と感じやすいと思う。
「ひとがた」を「ひとがた」たらしめる要素
さて、ひとがたをデザインするにあたって考えておきたいことがある。
それは、「どこまでデフォルメしても、あるプロダクトを『ひとがた』だと認識できるだろうか?」ということ。もうちょい噛み砕いて言うと、「何があれば、ものを『ひとがた』にできるんだろう?」ということ。僕たちは、リアルな人形や仏像を見た時に「これは人のかたちなんだな」と判断するのは簡単するときと同じように、こけしや埴輪を見たときにも「人のかたち」を読み取ることができる。人がなにかを「ひとがた」と判断するためには、何が必要なんだろう?
それを考えるために、2つの先行事例について触れることにする。現代美術家の内藤礼による彫刻作品「ひと」と、江戸時代の仏師円空による一刀彫の仏像群だ。
これら、極限までシンプルに削り落とされた「ひとがた」を見ることで、何がひとがたを成り立たせているのかがわかるかもしれない。
円空の仏
円空は全国を旅しながら、その土地その土地で仏像を彫る仏師だった。小学館ブックオブブックスの「円空と木喰」という入門書によると、”大寺院の高級僧侶ではなくて、庶民の要望から生まれ、民間信仰的なものを反映した半俗半僧的な下級僧侶であったと思われている”らしい。
円空仏すごい pic.twitter.com/CGI75Pzf80
— 秋山慶太 (@keita_ak) 2017年5月18日
その作風は特異で、いくつもの部品を組み合わせる寄木造ではなく、ひとつの木の塊から像を彫る一木造(一刀彫)という手法で彫刻を行っていたようだ。造像のプロセスで特筆すべきはそのスピードで、ときに一日のうちに彫刻を完成させるような速さで制作したという。
作業を速く進めるためには工程をシンプルにしなければならない。すると自然と成果物もシンプルになる。なたや大きなのみが生み出す造形は荒々しく、人物の表情は極限まで単純にデフォルメされている。
上に載せた像は、もはや仏像というより木の塊といったほうが近いような、非常に手数の少ないものだ。割れた木目の流れの中に、ほんの少しだけ手を加えて顔を彫り出す。それだけでも、人はひとがたを感じることができるようだ。
内藤礼の「ひと」
二つ前のポストでも触れた現代美術家の内藤礼さんの近作に「ひと」という名前の連作彫刻がある。
2017年5月 資生堂ギャラリーにて撮影(撮影可の展示)
手のひらの上にちょこんと乗るくらいのサイズで、バルサ材を削って眼を入れただけの素朴な作りの彫刻なのだが、一度それに気づくと目を離せなくなるような不思議な存在感がある。上でも書いたように、「ひと」という名前の作品は一つだけではなく、手足のあるものやないもの、長い髪をもった女性のようなかたちのものなどバリエーションがある。
作家本人がこの「ひと」について話している文章をいくつか読んでみたところ、造形上のポイントに触れている箇所があった。ひとがたを成立させているのは、首のくびれと眼だという。
球体のような彫刻をつくるときと違って、人の場合はなんていうか、たとえば首のところを木から少し削りだす、するとそのことだけでグンと人が表に表れてきます。木でありながら、木から突然。
里文出版「信仰と美のかたち 可視化された神の像」P169
内藤 人形(ひとがた)を作る時、私は、立つ形をずっと選び取ってきました。座ったり、横になっている像は一つもなく、何かに寄りかからず立っていて欲しいという思いがあるからです。これまで350人ほど作りましたが、そのひとはそのひとでしかないという個性が現れるのは、目を入れた時だと感じます。
中村 今もお話ししていると目を見ますものね。
内藤 今まで作っていた抽象の作品と明らかに違うのは、人形(ひとがた)には前と後ろという方向性、頭から足へ貫く軸があるということです。目が入ると、明らかにこちらを見ているひとだと、何かを見ようとしているひとだというふうに感じるのです。
JT生命誌研究館webサイト 生命誌ジャーナルTALK「地上の光と生きものと」より引用
首のくびれ、そこから現れる頭の形。そしてそこについている眼と、それが表す視線。
江戸時代と現代、生きた時間は違うけれど、二人の作家が作り出した「極限までシンプルなひとがた」の要件は似通っているように思える。
つまるところ、ひとがたとは「眼のついた顔」のことなのだ。
人の心を動かすひとがたの姿
もののけをデザインするにあたって、シンプルなひとがたの姿を使いたいというだけでは、要するに人形がしゃべったりするのとあんまり変わらない。
もっとエモい、ドキっとするものはないかなと考えていたときに、Twitterで面白い作品に出会った。知り合いのイラストレーターましゆさんが作った、女の子のイラストレーションがアニメのように動くアプリだ。
描いた女の子をデスクトップアプリ化してもらいました。インターネットするときも動画観るときも一緒 pic.twitter.com/3TAbOhmVmN
— ましゆ (@mashiyu) 2017年2月1日
いわゆる萌えの文脈にある「Live2D」というツールで作られたもののようで、ましゆさん本人も他のツイートで触れていたように、ただの映像なのに実在感がある。
この実在感はツールの性質に基づいているようで、まばたきや身体の微妙な動きなど、生きものっぽい動きをよく観察して実装できるようになっている。ドキっとする…しませんか?ただ、人によってはこの動きに、不気味の谷的な気持ち悪さを感じることもあるようだ。
…というか、僕もこのソフトを触ってわかったんだけど、「絶対に『嫁』を生きているように動かしたい」という製作者の執念を感じる。すごい。
嫁の話はさておいても、このツールとプロジェクターを使うことで、ひとがたの最小条件である「眼のついた顔」を、いろんなものをベースとして作ることができるなと思いついた。そこで作ってみたのが、次のようなプロトタイプだ。
以前ブログに書いてた「人ならざるもののデザイン」試作、早速面白いものができてしまった! pic.twitter.com/I6HjwGF6aq
— 秋山慶太 (@keita_ak) 2017年6月2日
眼の動き、瞬きが「ドキっとするひとがた」なのだとして、それを「もの」に付加させることができたら、より深くユーザーをものに感情移入させることができるかもしれない、という意図で作ってみたのだけれど、どうだろう。どんな風に見えますか?
投影するものの違いで違ったキャラに見えるような…
今の眼はLive2Dのチュートリアル用フリーイラストを使っているので少し萌えっぽい雰囲気があるけれど、これをもっと他のタッチで作ることができれば、もっと広い好みのユーザーに面白がってもらえるものになりそうだ。
タネ明かし。aliexpressで買った安いプロジェクターを分解して、小さい像を投影できるようにしている
というわけで、今回はここまで。自分の考える「もののけ」の形がだんだん浮かび上がってきた。ここからは、テキストを参照して考えるというより、プロトタイプの制作を繰り返して実験していく段階になると思います。
どんな風に発展させていこうか、楽しみだ。