ふしぎデザインブログ

デザイン事務所「ふしぎデザイン」の仕事やメイキングについて書くブログです。

「新版 論文の教室」はめっちゃ役に立つ本

戸田山和久「新版 論文の教室―レポートから卒論まで」を読み終えた。

昨年深圳でお会いした松田さんがTwitterでおすすめしており、面白そうだなと思って買ってみたのだけれど、これはものすごく役に立つ良い本だった。

 

新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)

新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)

 

 

僕にとって特に有用だったのは、パラグラフ・ライティングについての第7章と、分かりやすい文章と分かりにくい文章の違いについて触れた第8章。

特に第8章では、具体的にどんな書き方が分かりにくいのかの実例をあげながら、それらを改善するための方策をいちいち教えてくれる。この中で、「自分もやってる…」と一番ドキッとしたのが、「ゾンビ文」だ。

 

【例】実在論と観念論の違いは、人間の認識活動から独立して存在する実在を認めるかどうかという点が異なる。

 

う…おかしい。おかしいけど、何がおかしいのか分からない。文章の意味がわかるかはさておき、何か違和感がある。でもなんだろう…?

著者によると、この違和感は、文章の主語と述語が対応していないことによって生まれている。つまり、

 

実在論と観念論の違いは、人間の認識活動から独立して存在する実在を認めるか否かという点だ。」

 

 

だったら良いということ。確かに違和感がなくなっている。「AとBの違いは〜だ」という形にハマったことで、余計な引っかかりがなくすらっと読めるものになった。

「一見おかしくないようで、実はおかしな書き方」の文章を自分が書いているときって、古い油で揚げたフライを食べたときのような不快感があって気持ち悪かった。しかもその原因がわからないから余計に始末が悪い。だけど、気持ち悪さの原因を知ることができると、注意しながら書くことができて文が少しはましになる。

 

このように、豊富な実例を見ながら主人公の論文ヘタ夫くんと一緒に少しずつ歩みをすすめていくことで、一冊読み終えると自分もきれいな文を書けるような気になる。

…気になる、というだけで書けるようになったわけではないよ、ということも巻末に書かれていて、そうですねとしか言いようがないのですが。

 

それから、本のそこここからにじむ「文章を書くことに対する敬意」のようなものが印象深かった。この方は本当に文章を書くのが好きで、読むのが好きなのだなあと感じさせるポジティブな態度が一冊に通底していて、読んでいて気持ちがいい。

何かを批判する場面でも決して感情的にならずユーモアをもって行っている。批判するときって、大体その対象について腹が立っているので、うかつにすると建設的な批判じゃなくただの攻撃になる。それはだめだよと諭されているようで身につまされます。

 

こんな風に考えたい、書きたいなあと思わせられる、とても良い本でした。

文体がいわゆる「おやじ」っぽく親しみやすいので、読んでると移りそうになるのも…ヤバいっすね。

人ではない、人とコミュニケーションできるモノ(もののけデザイン1)

「人ではない、人とコミュニケーションできるモノ」がマイブームだ。とても面白いし、自分ができるかどうかはさておき、デザインしがいのあるテーマだと思う。

 

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人ならざるモノ

例えばそれはドラえもんポケモン初音ミクのようなキャラクターであったり、siri、ロボホンやユカイ工学のboccoのようなプロダクトであったりする。

人間そのものではないけれど、人間の言葉や心情を理解してコミュニケーションをとることができる、不思議なモノたち。その存在は多様で、時に可愛らしく時に恐ろしい。

彼らはフィクションとノンフィクションの境界に存在し、人間の想像力を動かして自分たちをデザインさせることで現実世界にアクセスする。言葉や行動で人間にはたらきかけ、生活を豊かにしたり混乱させたりする。妖怪や精霊と言われてきたものに近いような気もするし、少し違うようにも思う。

 

現在、人間の生活にはこのような存在が製品やサービスとして広く浸透しているわけではないけれど、先に挙げたsiriのような実例も存在する。そして、人工知能やロボティクスが急激に発展すると言われているこれから、そのようなモノはどんどん増え、発展していくだろう。人間は、「人間以外のモノ」との付き合い方を覚える必要があるし、またそれをデザインする機会を無数に与えられることになる。


マーク・ザッカーバーグによる人工知能 Jarvisの動画 こいつはかなり「人間ぽい」

 

 

まだ生まれていない、けれど想像されている

こうした「人ならざるモノ」は、先ほど書いた通り、まだプロダクトとしては開発の途上にあるようだ。しかし未来のユーザーである僕らは、その話を聞いただけで、あるいはプレゼンのビデオを見ただけで、「ふむふむ…なんとなく言いたいことは分かる…」と納得できる。なぜだろう?

それは、他の多くの技術と同じように、あらかじめ想像されたものだからだと僕は思う。人はドラえもんを作ることはまだ出来ないが、想像することはできるということだ。人間じゃないものとコミュニケーションすること、それらと一緒の生活を想像することは、太古の昔から行われてきたに違いない。世界中にある精霊や妖怪の伝説、おとぎ話は、人がそれを想像して形づくってきたという意味で、「人ならざるモノ」のデザインの試行と言えるかもしれない。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Hyakki-Yagyo-Emaki_Tsukumogami_1.jpg

妖怪百鬼夜行絵巻(wikipediaより)👹

 

最近見たものの中では、Twitterで拡散されていた「はるさめごはん」さんのポケモン漫画に、「ポケモンとの共存」が描かれていて面白い。彼らが実生活のなかに現れたときの人間の変化や心の機微が柔らかいタッチで繊細に描写されており、興味深く、可愛くて心に残っている。ゲンガーかわいい…

 

 

 

 

幽霊ではなく、動物でもないなにか

今まで回りくどく「人ならざるモノ」なんて言い方をしてきたけれど、他によい言葉はないだろうか。妖怪、おばけ、モンスター、鬼… いろいろ表現はあるけど、個人的にはいまひとつしっくりこない。「物の怪」みたいな感じかなあ。どうだろう。

人間の幽霊や人っぽい神さま、それからペットというのも、人間に近い人ならざるモノではあるのだけれど、イメージしているものとはちょっと違う。「人間そっくり」の存在とコミュニケーションするマナーは対人間のそれとかなり似ているだろうし、動物とのコミュニケーションはめちゃくちゃ高度にはなりづらい。(動物好きの方、すみません)

 

www.goodspress.jp

 

このインタビューで触れられているみたいな、「コダマ的なもの」「現代の座敷童」というコンセプトが、そもそも僕がこうしたモノに興味をもったきっかけだ。親しみやすく、応用の可能性が広がるすばらしいアイデアだと思う。もしできることなら、これを起点にして、少しでも新しいものごとを考えさせていただきたいです。

 

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そんなわけで、「物の怪」についてもうちょっと考えてみたい。(なんと続きます!)

考えつつ書きたいなと思っているのは以下のようなことだ。

 

・日本の八百万的神さま/妖怪観とものづくりの関係(スプツニ子さん、市原えつこさんの作品をみる)

・人が物の怪に恋するがごとく感情移入することについて(初音ミク、UNDERTALE)

・人の想像力を使ってものを「リッチでスマートにみせかける」

・可愛らしさの分析と実装

 

今年のsaidoでの作品に向けて、これらの考えをベースにものをつくるところまでいけたら良いな。こんな本読んだら良いよとか、面白い資料がありましたら教えて頂けると嬉しいです。がんばるぞ!

「欲しいもの」を教えて

最近、欲しいものってある?

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僕は今使っているものより造形体積の大きい3Dプリンタと三次元加工ができるCNC切削機(できればローランドのやつ)、それからいい包丁が欲しい。

でも、これらはちょっと一般的な需要とは言えないかもしれない。それに、工業製品では欲しいものは少ないなあと思う。自分でプロダクトデザインをやっているのに、おかしな話だ。

 

ここのところずっと、「もの」にはまだ魅力があるのかどうか考えている。僕の親世代ではものすごく魅力があったらしい車、家電、オーディオみたいなプロダクトに、僕を含めた若い世代はあんまり魅力を感じていないみたいだ。

ひと昔前には、ものを買って使うことがとても良いこととされていて、みんながそれに従っていた。それが良いか悪いかは別にして、工業デザイナーはある意味花形で、ノリノリでいろんな製品をデザインしていた時代があった。そして、そこでつくられるものには一種神がかり的な魅力があったのだろう。

だけど、最近はまるで逆で、断捨離とかミニマルな生活ということばが流行し、もののない生活こそスマートで良いという論調が広がっている。確かに、最低限の家電と家具があって、ユニクロと無印で服を買って、あとはスマートフォンがあればそれでOKだと思う。僕がものづくりをする人間じゃなければそう思うだろう。でも作り手としてはちょっと寂しい。

 

いまの時代、「もの」は本当にもうコンテンツとしての魅力をもっていないのだろうか?トランペットが欲しくて欲しくてたまらない黒人の少年のように、ガラスケースの前に貼り付いて一日中見ているような、そんな魅力をもった存在はあるんだろうか?

そして、それが工業製品ではないとしたら、一体なんなのだろう?

 

もしあなたが何か強烈に欲しいものがあったら、ぜひ教えてください。

できたら、なぜそれが欲しいのかも。

 

(ハードディスクの肥やしになっていた文章を発掘したので、ちょっと手を加えて載せてみました)

シロメグリフを立体にしてみる

イラストレーターあけたらしろめにより無償配布されているフォント「シロメグリフ」が可愛いと評判なので、立体化してモビールにしてみた。

 

以下メイキングをのっけときますので、興味ある方は自分でつくってみてね!

 

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Illustratorでシロメグリフを入力し、アウトライン化して通常のパスにする

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一番外の輪郭の穴を埋め、シルエットのみのパスを作る

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作ったパスを3mmくらいオフセットする(ちなみに、この文字全体の大きさは横幅100mmちょいといったところです)

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アウトライン化したパスを型抜きし、図のようなデータにする

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このままだと目の中の部分が立体にしたときに落ちちゃうので、外側とつなげてやる(わかるかな?)

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あとはレーザーカットを外注するなり、3Dプリンタで出力するなり…

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厚みは1mmちょうどにしています。あんまり厚いと横から見たときに輪郭がつぶれるので。

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出力! 

 

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モビールって初めて作ったけど、思いの外上手くできた。金属棒はハンズで売ってる細い真鍮棒(ストックがあった)で、糸は普通の木綿糸。絹糸のほうが毛羽立たなくて良いかもしれません。 

ちなみに、文字はS A M U Iの5文字を作ったんだけど、モビールにはS A Mの3文字を使いました。毎日寒いですね。

年末年始の読書週間

年末と年始にまとまった休みがとれたので、まとめて何冊か読書をした。

お金の扱い方が苦手なので、その分野の本を中心に選んで、自分にしては結構なハイペースで読んだ。こんな時でないと「読むぞ!」という気にならないものだし。

 

 

人工知能って騒がれてるけど、実際どうなのよと思って読んでみた本。

帯の刺激的な言葉だけを見るとほんとかよと思うが、汎用(ある分野だけに特化したものではなくなんでもできる)人工知能が完成したら人間が職を追われる というのは、各国の学者たちが予測している「本気でありえる未来」らしい。しかも2030年や45年っていったら、僕まだ生きてるもんな…

機械がとても働くようになったら当然人件費のかかる人間はクビになってお金がもらえなくなるので、そうなる前に人間が生き残れるようにベーシックインカムを採用したらどうかという提案もあり、面白い。

筆者によると、人間の脳の回路を完全にコピーする人工知能(全脳エミュレーションというらしい)ができちゃったら、感情やらアートもぜんぶ再現可能になって人間はお払い箱になるようだ。なのでそれは開発するのをやめてもらって、人間の脳の仕組みを真似して回路を作る人工知能(全脳アーキテクチャ)を開発してもらうのが良いとのこと。

まじかよ…と思うのだけれど、一冊読むとその説得力にうなずかざるを得ない。

今話題のニューラルネットワークやらディープラーニングといった言葉についても簡潔に説明があり、特に前半はSFものとしても楽しく読めます。

ものすごくエキサイティング。超おすすめです。

 

 

お父さんが教える 13歳からの金融入門

お父さんが教える 13歳からの金融入門

 

「アメリカ人のベテラン弁護士が、13歳の息子におカネと投資と市場についてわかりやすく説明するために書かれた本」(訳者あとがきより)。

28歳の大人にとってもとても役に立つ本です。(僕が分かってなさすぎなのかもだけど)時価総額とか株式公開とか、知っておいたほうがいいんだろうけどよく分かってなかった言葉について基本的な理解を得られます。また、自分の会社の売上・利益・株価、自分の国のGDPなどを「なぜ分かっておいたほうがいいのか」についても教えてくれる。アホにとってはありがたい…!

度々強調されるのは、「自分が得るお金より多く使っては決してならない」ということで、、これって当たり前のようだけど一番大事なことだ。この本は、行き着くところまで行ってしまって破産したときには何が起こるかも教えてくれるから、そこもきちんと読んでおくと良いです。怖いよ。

読み終わって早速内容をどんどん忘れてしまっているので、復習しようと思います。

 

 

売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密

売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密

 

 TRAVELLIUMでご一緒したアライヨウコさんに紹介してもらったマーケティングの本。

SNSを始めとしたネットを活用した販売+プロモーションの事例集としてとっても面白い。最近そこいらじゅうで聞くことづくり・場作り・体験づくりのトピックが多い。ベントレーiPhoneを使って撮影したCMが話題になって〜という話を見て、それにつかわれたというiPhone用のレンズ欲しくなっちゃったり(本筋とはまるで関係ない)

ユーザーの価値観が変化してきているので、売る側もそれに対応して変化することでうまいこと生き残っていけますよということが繰り返し言われていたが、自分で取材したことではないようなので少し物足りない印象もありました。

 

 

夏の深圳ツアーでご一緒していた山形浩生さんの対談本。

経済とは、お金とはこういうものなんですよという導入部分が良かった。なぜ一つの国に一つの貨幣があるの?とか、お金なんてなくても大丈夫なんじゃないの?という問いに答えてくれるので、ふむふむとうなずきつつ読めました。途中、岡田斗司夫さんの個人的お金論(カリスマ貨幣みたいな)は正直よくわからないところも。

こういう本を読めば読むほど自分の知らなさ加減が分かる。一回読んだだけだとすぐ忘れてしまうし…また読もう。

 

 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

 最近何回か耳にして気になっていた言葉を調べてみようと思って読んだ本。

反知性主義」は、「知性なんていらない!」という考えかたではなく、「本ばっか読んでるインテリの頭の中よりも現場にこそ真理があるだろ!」という考え方…ということでよいのだろうか。アメリカでキリスト教を布教する「リバイバル」という集会の宣教師たちが育ててきた、反知性主義というものを歴史を追いながら説明してくれる。宣教師が「メソポタミアメソポタミア…」と抑揚をつけて何回も繰り返すことで大入りの観衆を感涙させたというトピックが面白かった。プレゼン上手すぎだろ!

プロダクトデザインもどちらかというと現場主義のジャンルなので、反知性主義という言葉のポジティブな面については共感しながら読むことができた。でも、先述のように、工夫のしかたによって中身のない言葉だけで人を揺り動かすことが出来てしまうような危険性(まさにトランプぽいですね)もある。

 

 

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

 

高橋源一郎さんが朝日新聞に書いていたコラム「論壇時評」をまとめた本。

震災が起きてからすぐのコラムより時系列に置かれているので、 忘れかけていた出来事を振り返ることができる。

新聞に載る文章なだけあって語り口は穏やかで分かりやすい。なんと表現したらよいのかわからないけれど、独特の優しさが感じられる良い本だと思う。

最近ってなんとなくみんな攻撃的で、自分の意見とちがうものをめちゃくちゃに叩いたり、見て見ぬふりをして無視を決め込んだりする。けれどそういう態度を良しとせず、真摯にものごとを見ていこうとする姿勢が文章からにじみ出ている。勉強になります。

 

 

関西に戻ってきた途端風邪引いたので、ことしは知的体力と物理的体力をちょっとでも養えたらよいなと思います。

 

第5回 ニコ技術深セン観察会に参加して感じたこと

2016年の8月15-16日、お盆休みを利用して、チームラボの高須さんが主催する「ニコ技深圳観察会」に参加してきました。
このイベントは、製造業の世界的中心地であり、ハードウェアスタートアップが集う街でもある深圳の様々な現場をめぐり、刻々と変化するものづくりシーンを視察するもので、今回で5回目の開催だったようです。
 
ドローンがその辺を飛び回り、露天でホイホイ売られている街 深圳
参加したきっかけ
 
深圳観察会を知ったきっかけは、高須さんが執筆した本「メイカーズのエコシステム」を読んだことです。
自分の知らないものづくりの世界があまりに熱っぽい筆致で紹介されており、買ってから一気に読みきってしまいました。(本当に面白いからみんな読もう!)僕同様にこの本にハマった、音楽ユニットMother Terecoのきみちゃんこと佐藤公俊くん経由で高須さんとつながることができ、トントン拍子でツアーに参加することを決めました。
深圳は想像していた以上に強烈なスピードで活動する都市で、僕は終始空いた口がふさがらないような状態でした。
参加者はそれぞれレポートを書くということで、僕は自分が面白いと感じた以下のポイントに絞って文章を書きました。
 
・深圳の若さについて
・深圳のデザインについて
・深圳のカオスなエコシステムについて
 
ちょっと長いですが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
 
 
 
若い巨人、深圳
 
深圳のみならず中国で感じたことは、とにかく「若い」ということ。
街角には若者が沢山歩いているし、ショッピングセンターには赤ちゃんや小さい子ども連れの家族が圧倒的に多い。(そしてみんなよく道端で何かを食べている。うらやましい)日本に帰ってきてから、この国はおっちゃんおばちゃんが多いな~と自然に思うほど、ぱっと見て平均年齢が低い。
 
深圳の前に訪れた上海のファッションビル とにかく人が多く、子どもと若者の割合が高い
 
深圳のショッピングセンター。そこかしこで食事をしていて、食べているものがやけに美味そうに見える
 
それは企業や組織でもそうで、例えばオフィス街の一等地に居を構えるファブラボ「深圳オープンイノベーションラボ」(SZOIL)は3ヶ月前にはまだ部屋しかなかったというし、深圳のハードウェアスタートアップを象徴する、なんでも作れる組み立てキット製造の「Makeblock」は2013年の創業で、日本語堪能の営業担当者は20歳と22歳だという。
 
Shenzhen open innovation labではvickyさん(後ろ向きの女性)が丁寧に施設の説明をしてくれた
 
メイカー用試作キットというにはあまりに万能で安価なMakeblockに若干引く(いい意味で)
ごく少量からの基盤製造、メイカー支援やMakerFaire運営を行う「Seeed」のオフィスの壁には、手描きのグラフィティでロゴが誇らしげに描かれていたり。
 
Seeedのオフィスの手作り感が最高にクールでした
 
高須さんも書かれていたが、深圳には「明日は今日よりも良くなる」というポジティブな空気があって、人々の表情であったり場所の造作からそれを読み取ることができる。昨日まで何もなかったからこそ今日は自由に働くことができて、それが明日を耕すんだという、ある意味無邪気にも見える価値観があるみたいだ。
 
若さは速さとなって現れる。深圳はいますごい速度で成長を続けており、それを体現するチームをツアーではいくつも見ることができた。2日目に訪問したホームユースのお手伝いロボを開発するスタートアップ「NXROBO」はたった1年で、実働するロボットをコンシューマー向けのデザインも含めて組み上げた。最初はルンバにkinectを載せたようなプロトタイプに始まり、それを独自設計に置き換え、金型仕様の成形品データを作り、外装のファブリックを選定し、実働品のモックアップを作り上げたとのこと。1年って、そんなに長い時間だったっけ?
 
NXROBOのCEO Tinさんとロボット「BIG-i」の2ショット
 
このような状況は、製造業が先行き不透明でなんだか元気のない日本からしてみるとすごく良い環境のように思えるが、日本にもこのような若い時期があったのだと思う。僕は想像することしかできないが、松下幸之助が電球ソケットを売っていたり、本田宗一郎がバイクを作っていた時期には、もしかしたら同じような雰囲気があったのではと思う。
もちろん若さゆえの危うさのようなものもあって、一般的な工場の労働条件は良くないように見えた。(実際、見学したPCB(プリント基板)工場では、危険なプレス機を極めてラフに扱うおっちゃんがいた)また、環境に配慮する意識なんてものも、ほとんどの小さな工場ではまだ持っていないだろう。
 
いかにも危ないプレス作業をするおっちゃんに、ツアー参加者から心配の声が続出
 
少し上でも書いたが、深圳の街を見ていると、2016年の今、日本で製造業に関わることの意味を考えさせられる。社会として年を取り、低成長・定常社会に移るとも言われる環境下で、元気でありつづけるには何が必要なんだろう?と考えるのも、それはそれでクリエイティブなんじゃないかと思えるからだ。
 
―明確な答えなんてないだろうけど、僕はものづくりの持つカルチャーとしての力は、まだまだ日本でも面白いんじゃないかと思う。個展をやったときのトークショーYCAMの津田さんが言っていたような「ものづくりの文化的側面」、多様化して拡散していく「ものの力」を信じたい。というか自分で少しでも作らなきゃね!
 
 
 
「デザイン」の役割について
 
もうひとつ、自分が仕事としている工業デザインの役割についても思い直すことがあった。
「インダストリアルデザインは、製品の付加価値を上げるために生み出された職能だ」ということを再確認させられたのだ。
 
深圳の中心部にある華強北(ファージャンペイ)エリアには、無数の部品屋から怪しげなコピー製品(山塞/シャンザイ)を売る商店、一流の製品を売るアンテナショップ、果てはスマホの部品をバラして販売するヤミ市まで、深圳に住むエンジニア達の台所としてあらゆる需要に応える店が揃っている。
 
野生のホバーボード、野生の電気自転車、そしてここにも赤ちゃん
 
こんな塩梅でスマホの部品などを道端で売っている。八百屋じゃないんだから
 
華強北では最近「デザイン」が流行っているらしく、売っている製品のルックスがかなり向上しているようだ。高須さんのツイートにも見られるように、確かに洗練されたスタイリングの格好いいものが売っていた。分かりやすい話として、同じ性能でも、デザインにコストをかけて格好良くすれば倍の値段で売れるという事情があるらしく、じゃあデザインを取り入れようかとみんなが思っているらしい。
 
華強北には深圳の発明品を展示する施設もあり、デザインは総じてハイクオリティ
 
日本の、特にコンシューマー製品では「デザイン」は一通り行き渡っていて、新製品のルックスを飛躍的に良くするのはなかなか難しい。なので売るための方策として、「できるだけ安いコストでできるだけ高く見えるような加飾をする」ことが重要な命題となっている。それを揶揄して、「ガワ」のデザインという言葉が使われることもあるくらいだ。
 
では以前の「インダストリアルデザイン」は、もっと本質的な作業が行われていたかといえば決してそうではなくて、やっていることは多分同じだったのだろう。より格好いいガワを考案して高く売る。これだけだ。ただ、その有効性と方法は変わってきている。
僕の通っていた大学では、学生の間に「売らんかなのデザインはダサい」という共通認識のようなものがあり、僕もそういう態度をとっていた。でも実際会社で働き始めてみると、デザインは「売るための技術」で、そこに使用性の向上とか、自分なりの考えのようなものを忍び込ませる事ができれば上々、というように存在しているのだった。
 
最初はそれに違和感を覚えたけれど、このツアーを経て、自分の中でなんとなく納得できたような気がする。工業デザインって、成り立ちからしてそういうものだったんだな!w
もちろん、デザインはそう単純なものではなく、商業ベースのローウィ的考え方と、文化ベースのバウハウス的考え方の両輪に支えられているものだと思うし、僕はスペキュラティブデザインインクルーシブデザインなど、現代の文化的デザインもめちゃくちゃ面白いと思うけれど、2016年の深圳で「デザイン」がシンプルに価値を生み出しているのは、なんだかちょっと破壊的で痛快でした。
 
 
それから、深圳デザインの象徴のように見えた、indare designのことについても書いておきたい。
先述したSZOILが入居する「Sino-Finish Design Park」は中国とフィンランドが共同で(おそらく、中国政府がすごい額のお金を使って)作ったデザインカンパニーが多数入居する複合施設で、かのステファノ・ジョバンノーニの事務所分室も入っている。その中のひとつ、現地のデザインファーム「indare design」を見学することができたのだけれど、ここがすごかった。
 
オフィスは若いスタッフとデザインスケッチ、製品サンプルでいっぱい
 
CMFが大事なのは中国でも変わらないようだ。サンプルがどっさり
 
フロアの入り口にはIFやReddot(どちらも世界的な工業デザインアワード)のトロフィーがゴロゴロ置いてあり、オフィスには若いデザイナーとデザインスケッチ、素材サンプルや資料が所狭しと並べられており、いかにも「仕事沢山やってます!」という雰囲気。置いてあるサンプルを見てみると、自社開発だというスマートウォッチや電動歯ブラシ、イヤホンなどのメカものが多い。
正直、自分の中にも、中国のデザインはヨーロッパや日本の後追いだという偏見があったのだけれど、この場所を見たことで、そんな思いは完全に払拭しなければいけないなと痛感させられた。今はまだ中国から名のある工業デザイナーが数多く出るという状況には至っていないけれど、5年後10年後にはまるで状況が変わっているだろう。
 
このように、「デザイン」に対する見かたを更新できた事が、今回の旅のひとつの成果だったと思う。
 
 
 
カオスから生まれるオリジナル
 
ツアー1日目、Seeedを訪問してプレゼンを聴いたあと、プレゼンターのSeeed社員Shuyangさんとツアー参加者の間で面白い会話があった。
 
Seeedと深圳のエコシステムについて熱く語ってくれたShuyangさん
 
魑魅魍魎のようなコピー製品群「山塞」は、特許やクリエイティブ・コモンズのような発明促進のための仕組みとして働いている、という指摘だ。このコンセプトはSeeedのプレゼンの中で説明され、その後の質疑でさらに深く掘られていた。
会話が英語だったのですべてを聞き取ることは出来なかったけれど、大体以下の様なことが言われていたと思う。
 
・新しい製品が出ると即座にそれがコピーされ山塞製品が大量に生まれるが、そのプロセスによって深圳のエンジニアリング力が急上昇している
・山塞製品はただのコピーではなく、音楽で言う「リミックス」のようなものであり、それを繰り返すことで特異な発明が生まれる。玉石混淆に見える山塞の群れが深圳のクリエイティブを担保している
・特許はもともと発明家のアイデアを保護することで支援する仕組みだったが、現代ではむしろ足かせになっている場合が多い。山塞は特許的世界観の倫理を超越してしまっているが、それ故に特許とは別の形でエコシステム(ものづくりの生態系)の発展に寄与している
 
次々生まれるコピー、リミックス製品は規制しようと思うだけ無駄
 
なるほど、特許と意匠の世界で生きる人間にはかなりのぶっ飛び理論に聞こえるかもしれないが、とても的を得ていると思う。
僕はこれを聞いたときに、音楽のシーンが盛り上がるときのことをなんとなく連想した。あるジャンルが成立するときって、最初のエポックメイキングなアルバムが出た後に、そのフォロワーがブワッと増え、塊となって新ジャンルを成立させる。そこでは、これはあの曲に似ているからダメとか、雰囲気が一緒だから良くないなどという野次よりも、次々と生まれるリミックスの中から「次の一曲」が生まれる期待感の方が大きそうだ。クリエイティブな「まね」を繰り返すことで、いつしか本当にオリジナルなものが生まれるという原理。それは工業製品でも起こりうるもので、それこそが深圳のエコシステムの中核を担っているという分析に、僕はすっかり魅了されてしまった。
 
今回のツアーでは途中で離脱したため見ることができなかったが、ハードウェアスタートアップの養成施設であるHAXでは、そのような土壌の中からよりぬきのプロダクトが産まれているらしいし、2日目に訪問した深圳メイカースペースの元祖Chaihuo Makerspaceのようなインディーズからも、一種独特なもの達が次々飛び出してきている。
深圳のカオスなエコシステムは、山塞という無限のエネルギーをベースにした、ハードウェアという付喪神たちの百鬼夜行のように見えた。そこで蠢く楽しげな妖怪たちの力は、外の世界から見るよりさらに強力なのかもしれない。
 
大衆、科学、デザインなどいろいろな要素を横断するのがMAKERだという、夢あふれる図と高須さん
 
 
Chaifuo Makerspaceは深圳最初のメイカースペース。伝説的人物のViolet Suさんに案内して頂い
 
以上、深圳ツアーに参加して思うところを書いてみました。
 
ツアーについてもっと知りたい場合は、他の参加者の方々がもっと詳しくブログを書いています。(高須さんの感想まとめへのリンク)
また、メンバー間共有の写真アルバムもありますので、ぜひ見てみてください。
 
これを読んで、深圳見てみたいなと思う人が一人でも増えれば幸いです。
改めて、ツアー主催の高須さん、参加者の皆様、ありがとうございました!今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 
秋山
 

 

 

saido design projectの楽しみかた


明日・明後日の土日は、今週頭から始まっている関西出身の若手デザイナーによるグループ展「saido design project vl.2 『寿』」京都展の本番期間です。メンバーほぼ全員が在廊するし、土曜日にはレセプションもある。手前味噌ながらなかなか面白い、間口の広い内容だと思うので、デザイナーや学生さんのみならず、いろんな人にぜひ見にきてほしいです。

……これだけじゃなんだけど、ネタバレをするのも無粋だし、saidoの展示を「どんな風に見たらもっと面白いのか?」ということをちょっと書こうと思います。
 
 
 
 
saidoのwebサイトにもある通り、このグループの特質は「メンバーの多様さ」にあると僕は思う。メーカー勤務の工業デザイナーもいるし、広告に携わるグラフィックデザイナー、インターフェースデザイナー、服飾デザイナーや木工職人、ハードウェアスタートアップを立ち上げたメンバーもいる。

分かりにくいかもしれないので、別の言い方をしてみよう。
掃除機や炊飯器なんかの家電を作っている人もいるし、スマホやTV、ATMの画面を作っている人もいる。スポーツウェアや広告のポスターやパンフレット、PC周辺機器、茶道具、さいきん話題の光る靴、駅の電光掲示板などなど、本当にさまざまな「ものを作る」仕事に就いているメンバーが16人も集まっている。当然、16人には16通りのそれぞれ違った思考や技術があり、それに基づいてアウトプットされる作品も個性豊かなものが揃っている。これってなかなかすごいことじゃないかと思うのだ。



 
展示会場のMEDIA SHOP GALLERYでは、自分の作品の前にメンバーが立っていると思う。作品をふむふむ見ながら作者に解説を求めるだけではもったいないので、ぜひ「会社ではどんなものを作ってるんですか?」と尋ねてみてほしい。きっと嬉しそうに、あるいはちょっと照れながら自分の仕事について教えてくれるはず。

みんなのことを知っているとよくわかるんだけど、作品にはそれぞれの仕事へのこだわりだとかテクニック、あるいはプライド、理想なんかが反映されているものだ。その人が「どんな仕事をしているか、どんなところを大切にしているか」を知ってから作品を見ると、ただ見るよりも深く、多面的に作品が見えてくると思う。何より、「こんなものを作る仕事をしてる人って、◯◯な考え方なんだな〜」とか、「この人、あれ作ってたんだ!?」っていう発見があるんじゃないかな。






話はすこし変わるけど、工業製品のデザイナーのジレンマのひとつに、「お客さんの顔を直接見られない」というものがある。自分のデザインした商品をリヤカーに入れて行商できればいいけど、実際はそうもいかない。量販店で張ってでもいないと自分の製品が買われるところは目撃できないし、BtoB(会社あいてに商品を売る業種)のデザイナーだったら、「製品を使う人」と「買う会社」はまったく別だったりする。「お客さまの声を聞いて…」なんて言っているけど、おれのデザインした製品どうかな〜っていうのを、意外とデザイナーはamazon価格.comのレビューでまわりくどく確認したりしているものなのです。

だから、作品を展示しているデザイナーにとっても、お客さんと話をして直にリアクションをもらうことはとっても嬉しいことだ。話しかけられて嫌がる人はいないと思うので、ぜひちょっとだけ勇気をだして声をかけてほしいです。(こちらから勢いあまって声をかけてしまうかも!)




saidoの会場で作品を見てくれたとして、あなたはどんな感想をもつだろう。すごいな!楽しい!と思ってくれたら嬉しいし、こんなもんか〜っと思われちゃうかもしれない。
でも、いろんなステージでものづくりに携わる人たちと話しながら作品を見る体験は、ちょっと楽しいんじゃないかと僕は思う。

お店で、友達の家で、学校で、職場で、街角で出会うさまざまなプロダクトたちには、ひとつひとつに作った人がいる。普段そんなことを考えることってないだろうけど、この展示に触れることで、それらの後ろにいる人たちの姿や思いが、少しでも見えるようになって頂けたらとても嬉しい。作る側も、仕事のしがいがあるというものです!
 

 

そんなわけで、この週末、たくさんのお客さんとお会いし、お話できることを、本当に楽しみにしています。会場で会いましょう!

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saido design project exhibition vol.2 ”寿”

■京都展

開催日時:2015年10月13日〜18日(12:00-20:00※17,18日は19:00まで)10月17日は、レセプションパーティ
開催場所:MEDIA SHOP GALLERY
〒604-8031 京都府京都市中京区河原町通三条下る大黒町44
■東京展
開催日時:2015年10月31日、11月1日(12:00-18:30)10月31日は、レセプションパーティ
開催場所:さくらギャラリー中目黒
〒153-0061 東京都目黒区中目黒2-5-28

【公式サイト】http://saido-design-project.com/
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