秋の鯖江に、デザイナーと作り手を訪ねて
つい昨日、福井県の鯖江に住む友人の森くんのもとを訪ねてきた。
仕事で金沢に行く用事があり、そのついでにということで立ち寄らせてもらったのだ。
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大学時代の同級生である森くんは現在フリーランスのプロダクトデザイナーをしており、職人や物作りに関わる人が多く暮らす鯖江を拠点に活動している。彼のセンスは学生の時からずば抜けており、ものづくりに対する真摯で率直な考え方は尊敬すべきものだ。部屋はだいたい散らかっているけど。
さて、国内の眼鏡の生産量95%以上を占める眼鏡の町として有名な鯖江だが、実は「越前漆器」という漆器も基幹産業の一つして存在する。市内の河和田地区を中心とした産地全体で分業体制が確立しており、木地づくり、塗り、蒔絵や沈金などの工房が点在しているという。(詳しくは当地にあるうるしの里会館のwebをチェック!)
今回、そのような木地工房のひとつであり、自社製品も手がけられている「ろくろ舎」さんを、森くんの案内で尋ねる事ができた。
ろくろ舎さんは通りから一本入った道沿いにあり、木工ろくろを使って木地を挽く工房の隣に、ご自身でセレクトしたものを扱うショップが併設されている。工房の棚には粗挽きした漆器の原型が乾燥のために積まれており、部屋中にある木材が光を吸収して、あたりはほの明るく照らし出されている。
木工ろくろを使って木地をつくるところを拝見したのだが、これは本当にすごい仕事だ。
鉄の丸棒から自分で鍛え上げる(!)という工具を使って、木の椀を少しずつ加工していく。ろくろを回し、工具を回転する木地にあてると少しずつなめらかに削りとられる。削るたびに型紙を使って形を合わせ、理想の形に近づける。木地の表が仕上がったら次に裏を削る。しかもそれを何回も繰り返す!
自分たちの手で丸棒から刃物を鍛え、それを使って製品を仕上げる。ものづくりの基本を見る思い
プロダクトデザインという自分の仕事の中では、模型をつくることはあっても製品をつくることはない。デザイナーは他者と協力して成果を生み出す仕事であり、製品開発プロセスという大河のほんの一部にしか関われないことがしょっちゅうだ。だから、自分たちの手でプロダクトを考え、生み出す酒井さんたちの仕事ぶりには本当に圧倒されてしまった。
前述の通り、ろくろ舎さんでは伝統的な木地師の仕事に加えて、自社でデザインした製品も販売している。それがまた、たまらなく魅力的なのだ。
Webサイトでも販売している「TIMBER POT」は、杉の間伐材を使って作られたポット。
塗装を施していないので、屋外で使ううちにひび割れ、痛み、朽ちていくが、それが一品一様の景色を生むというもの。真新しいものも美しいが、雨に濡れて変色したポットに植物が植えられていると、まるで流木に植物が自生しているように見える。工業製品というより、たまたまポットのかたちをしている自然物のようだ。家の植物を植え替えたくて、僕もひとつ購入させていただきました。
ちなみに、森くんも一点もののポット(と、花器の中間のようなプロダクト)を購入していた。こちらも素敵だった…!
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酒井さんと森くんの3人で、ろくろ舎さんのショップに置いてあるものを見ながら色々な話をすることができた。「良いもの」はどんなものかということ、それを作るにはとても時間と手間がかかること。ある素材に取り組みスタディを重ねる中で、ある時その魅力が引き出せる様になること。良いものの魅力を言葉にして説明するのはとても難しく、その言葉は不完全だということ。
ろくろ舎さんのショップでは、木製品以外にもセレクトされた品を扱っている
ものの美的な魅力というのは複雑なもので、「貴金属を使っているから高価である」というような説明しやすい魅力もあれば、盆栽や茶道具の微細な意匠を愛でるような、説明しづらい魅力もある。また、有名アイドルのサイン入りCDのような、ものに付加された情報が美的な魅力につながる場合もあるだろう。
工業デザインの仕事では、往々にして「言葉で説明できる美的価値」を生み出すことを求められる。新しいものは見ただけではその価値を理解できないこともあるが、言葉で説明できるとその価値を伝えることができるためだ。
ただ、言葉で説明できる価値を作ることばかりに慣れてしまうと、作っているものが「言葉を形にしただけの、スカスカのもの」になってしまう。3人で言葉を交わす中で、自分の中にあるその危うさを再認識することができた。
「良いもの」は、作り手が粘って探って未踏の地にたどり着くことで生まれるものであり、工業デザイナーの武器は言葉よりもものであるべきだ。
それを肝に命じて、僕も自分の仕事に戻ろう。