ふしぎデザインブログ

デザイン事務所「ふしぎデザイン」の仕事やメイキングについて書くブログです。

大変な時代を遊ぶ

もう2ヶ月ほど前になるが、大阪で友人のイラストレーター・漫画家のイシヤマアズサさんとお話する機会があり、お互いの仕事などを話す中で、ひとつ面白いお話を聞いた。

 

イシヤマさんの最新作。生活の喜びとかなしみが詰まっていてすばらしい。みんなで読もう

 

 

 穏やかで豊かな生活

漫画や小説のテーマとして、日常生活と食事にフォーカスを当てた作品が最近非常に広がっているという。

そのような作品に共通しているのは、誰かが生活し、その中での食事の風景をドラマに仕立て豊かな日常生活を描くということ。例として「きのう何食べた?」とか「花のズボラ飯」、「甘々と稲妻」などが挙げられるという。いわゆる日常系漫画と料理漫画がくっついたものだということもできるかも?
イシヤマさん自身も料理をする漫画(「真夜中ごはん」など)を描かれていることもあって自然と動向には詳しくなるようだったが、最近は競合が氾濫してきており、差別化をするのが大変だと話していた。

 

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大阪に住んでいたとき、友だちを招いたときの食卓(イメージ画像です)


ふむふむと話を聞くうちに、この事情はライフスタイルショップの隆盛に似ているなあと思いあたった。
衣食住すべてを横断的に扱い、生活のスタイルそのものを提案する、という業態は、2012年か13年くらいからよく見るな~っと思っていたら、雨後の筍のように増えてすっかり当たり前になってしまった。
最近では、バルミューダパナソニックソニーなどの家電業界でも「生活」―もっと言うなら、「穏やかで豊かな生活のイメージ」を魅力的なものとして提案し、それは一定の評価を得ているようだ。

漫画のジャンルと店舗の業態という違いはあるが、なんとなく、これらは同じような現象に見える。多くの消費者、生活者が、「穏やかで豊かな生活」を欲しがっているのではないだろうか? 

 

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欲しいもの=手に入りにくいもの?

話は変わるが、メーカーで働いているとき、過去のカタログや企業博物館で自社製品の歴史を見る機会があった。
ひとつひとつの製品を個別にデザインしているとわからないが、まとめて振り返ると、製品のデザインは「時代ごとの『欲しいもの』のイメージ」を形にした結果として生まれてきたのだ、ということを感じ取ることができる。


例えば70年代のカラフルな製品からは明るい生活と欧米への憧れが、80年代の「マイコン」製品からはデジタル技術と好景気への期待がにじみ出ているようだ。
そして、時代ごとの「欲しいもの」は、「その時代に手に入れにくいもの」のようなのだった。例えば、みんなが小さい家に住んでいるときには広い家を欲しがり、安い車に乗っているときには高級車を欲しがり、大量生産品に囲まれているときには手づくりの工芸品を欲しがるというように。

これは裏付けのない僕の思いつきなのだけれど、もし「たくさんの人が欲しがるものは、その時代に手に入れにくいもの」という仮説を立てるなら、2010年代後半に手に入れにくいもの、それゆえにみんなが欲しがるものは、まさに「穏やかで豊かな生活」なのではないだろうか?

もしそうなら、これはなかなか大変な状況だ。

 

 

欲しているものは

今年の6月に発売されたtofubeatsのアルバムFANTASY CLUBに収録された楽曲「WHAT YOU GOT」を聴いて、ああ、この時代に困難さを感じているのは自分だけではないのだと改めて感じ、なんだかほっとしてしまった。

 

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この歌に登場する「君」は、なんとなく生きづらいこの時代に生きる若者の気分を代弁しているようだ。
この歌の向かう方向は希望だけれど、位置する場所は神経質に苛ついた生活の中だ。
歌詞を初めて通して聴いたとき、あまりに時代の気分をよく捉えていて、しっくり来たと同時にやるせない気持ちになった。
だって、電話越しの「君」は、ときに何かを欲しがるだけの元気すらも持てないくらい消耗してしまっているようだったから。

 

 

何が食べたいとか
そのくらいも決められないなら
欲してるもの 手に入れられてるかって
もうそんなの気にしないで
もうそんなの気にしない

 

 tofubeats「WHAT YOU GOT」より

 


大変な時代を遊ぼう

自分を省みても、フリーランスになったばかりで生活が不安定なこともあってなんとなく不安をひきずってしまうことがあるし、仲の良い友人たちをみても同じように感じることがある。
明日が今日よりも良くなる保証はないし、今日よりも悪くなってしまうかもという予感すら、ないとは言えないだろう。そういった不安の中で、「穏やかで豊かな生活」を欲しがるのはとても自然で良いことに思える。

ただ、同時になんとなく感じるのは、「穏やかで豊かな生活」は、「神経質に苛ついた生活からの逃避」以上のものになりづらいんじゃないかということだ。SNS上では素敵な暮らしのイメージが飛び交っているけれど、僕は写真のフレームの外にちらつく、どうしようもないやるせなさの影を無視することができない。
そりゃそうだ、元々暮らしというのはそういうものだと言うこともできるかもしれないけれど、不安を覆い隠すように見える美しい暮らしのイメージが溢れすぎて、ちょっと食傷ぎみなのです。


そこで、そこから進むためには何が必要なのかなと考えた。

それは、自分たちで新しい時代を作ることなんじゃないだろうか?
単純すぎる解決策だし、そもそもできるのかどうかもわからないけれど、挑戦してみる価値は十分だ。

新しいものを作るには体力も、お金も、センスも要る。
だから、こんな不安定な時代にそんなリスキーな挑戦に身を投じるのはどう考えても合理的じゃない。普通に考えたらやめた方がいい。でも、だからこそ、知恵をはたらかせて良いアイデアをひねりだすのはとっても楽しいんじゃないか?

 

この大変な時代は、面白い遊び場だ。

そう言ってしまうのは少しナイーブに過ぎるかもしれないけれど、
挑戦すればきっとうまくいくよ!