ふしぎデザインブログ

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ムーミン谷の冬

数少ない、何度も読み返してしまう本に「ムーミン谷の冬」がある。

 

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新装版 ムーミン谷の冬 (講談社文庫)

新装版 ムーミン谷の冬 (講談社文庫)

 

 

 

家族や仲間たちがみな冬眠する寒い季節に主人公のムーミントロールが目覚めてしまい、今まで知ることのなかった雪と暗やみの世界に触れる、というお話だ。そこでは明るい夏の世界とは違った生きものや魔法、ルールが存在していて、ムーミントロールは戸惑いながらも彼らの世界に踏み込んでいく。

 

冬の世界にはいろんな奴らがいる。さばさばとした性格のおしゃまさんやちびのミイもいれば、恥ずかしがり屋の小さなトロールもいる。流しの下には言葉の通じないかんしゃく持ちが暮らしているし、すべてを凍らせてしまうきらわれ者のモランもいる。ムーミントロールは最初、夏の世界とあまりに違う彼らの流儀や態度に驚き、ときに腹を立てたりもする。

 

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自分と違う価値観をもつ人物を受け容れることは難しい。衝突もあるだろうし、ちゃんと分かり合えることなんてほとんどないと思ってもいいだろう。だけど、物語の語り手は、異質な存在、なんだか分からない暗くて小さい奴らのことを、寄り添うような優しさと寛容さをもって描写している。それがなんとも心地よいのだ。

 

”この世界には、夏や秋や春にはくらす場所をもたないものが、いろいろといるのよ。みんな、とっても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかの人たちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしない生き物とかね。その人たちは、一年じゅう、どこかにこっそりとかくれているの。そうして、あたりがひっそりとして、なにもかもが雪にうずまり、夜が長くなって、たいていのものが冬のねむりにおちたときになると、やっとでてくるのよ」「あんたは、そういう人たちのことを、よく知ってるの」と、ムーミントロールはききました。「すこしはね。たとえば、流しの下の住人なんか、とてもよく知ってるわ。だけど、あの人は、だれにも知られないでくらしたいと、こうねがっているんだもの、あんたを紹介するわけにはいかないのよ」こう、おしゃまさんは答えました。”

 

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物語の後半には、そうしてできた奇妙な秩序を壊す存在として、おせっかいやきのヘムルが登場する。スキーを履いてやってくる、あふれるエネルギーの権化のように描かれるヘムルは、物語の冒頭におけるムーミントロールと同じく、冬へずかずか踏み込んでくる、招かれざる客として描かれる。このキャラクターの出現によって、ムーミントロールは「冬」というコミュニティの部外者と当事者、両方の立場を経験することになる。物語の前半では踏み込む側として、後半では踏み込まれる側として。

 

無神経でおせっかいやきなヘムルのことをムーミントロールはどうも好きになれない。なんでほっといてくれないんだろう?自分のやり方を押し付けるのはやめてくれ、と。でもその後に、冬に足を踏み入れた時の自分もそうだったことに気づく。

結局、 へムルは冬の住人たちとは共存せず、春を待たずに別の土地に旅立つことになる。だけど、 彼は全くの邪魔者というわけではなかった。小さいはい虫のサロメちゃんと、しょぼくれた犬のめそめそにとっては彼は救世主だったし、ムーミンだって彼のことを「好きになりかけて」いた。このように、作者のヤンソンはこのヘムルにも優しい視線を向ける。

そのしるしとして、ムーミントロールは最後に「なつかしき友のヘムレンさんへ」と記したいちごジャムをひと瓶プレゼントした。彼がいなくなってほっとした気持ちと、少しの後ろめたさを抱えながら。

 

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✳︎

 

この物語は、北欧の冬を描いたファンタジーでありながら、同時に「居場所」について考える本なのだと思う。世の中には多様な価値観と暮らし方を持ったものたちが無数に存在し、それぞれはお互いに共存できないものもある、というリアルなメッセージが、優しい文体と幻想的な挿絵の世界の中に隠されているのだ。

だけど、そのメッセージには続きがある。共存できなくてもいい、みんなで一緒にいることだけが良いことではない、各々の居場所でよく生きていくためには、全員に同じことをさせて同調するよりも、お互いの「分からないところ」をそのままに認めることこそが大事なのだと。

 

この短い小説を読むたびに、僕は著者ヤンソンの思慮深い優しさを感じる。

「優しくしてあげる」こととは違って一見そっけないように見える、でもほんとうの優しさを持った行いが、不完全な存在として描かれるキャラクターたちによって、ちぐはぐに、しかし誠実になされていくこと。それはちょっと感動的だ。

 

(写真は8年前ドイツのベルリン近郊に旅行したときに撮影したものです)