豊島美術館に行ってどえらい感動した話
連休の前の平日に休みが取れたので、一泊で瀬戸内海の豊島に行ってきた。
長いこと行けずにいた豊島美術館を訪れるためだ。
豊島はアートの島として有名な直島のすぐそばにある。僕は大阪から鈍行列車で宇野まで行き、そこからフェリーで島に向かった。
瀬戸内らしい穏やかな海が島を取り囲んでいる。防波堤の水面にはまるで池のような静かな波紋が広がっていて、港を離れたフェリーのエンジン音が聞こえなくなると、辺りは気持ちのよい静かさに包まれる。しばらくするとその静かさの中から、波のノイズや鳥の声、草木が風に揺れる音が聞こえるようになる。
豊島には家浦と唐櫃という二つの港があり、美術館は唐櫃港から少し離れた丘の上にある。
丘に向かって歩いていくと、あるところで視界がひらけ、いまでは休耕畑となった段々畑が目に入る。それからもうしばらく歩くと、豊島美術館の入口だ。
この美術館には所蔵作品が一つしかない。現代美術家の内藤礼が作った「母型」という作品を展示するためだけの施設。パンフレットによると、建築とアートが一体となったものだという。
受付で入場料を支払ったあとに、細い散歩道を歩くように案内された。海に向かってしばらく歩くとちょっとした展望スペースがあり、瀬戸内海の島々、海が見渡せる。またしばらく森の中を進むと、白い洞窟のような建築―作品展示スペースにたどり着く。
建物に入る前に、係の方から簡単な説明を受ける。
中には靴を脱いで入ること。
足もとにとても小さい作品が散りばめられているため、十分気をつけて鑑賞すること。
とても音が響きやすい空間なので、携帯電話の音が鳴らないようにすること。
靴を脱いで、ほとんど恐る恐る建物の中に入ると、大きなドーム状の空間がぽっかりと広がっていた。
ドームの天井は低く、そのかわりに面積が大きい。天井と壁は区別されておらず、スムーズにつながっている。その様子は、人工的な建築空間というより、水の流れが地中をなめとってできた洞窟のようだ。
空間の奥、左右にはそれぞれ、天井にフリーハンドで描いたような大きな円形の穴が空いており、そこから光が差し込んで床に落ちている。明るいグレーの床に落ちた光は天井に反射し、大きな空間をほの明るく照らし出している。
豊島美術館の建物は、建築家の西沢立衛によるものだ。先に建築をつくり後から作品を設置するのではなく、建築とアートが溶け合い一つの場となるよう、建設の場所選びから作家と話し合って作り上げたという。
ベネッセアートサイトwebサイトより引用
空間の心地よさを感じながら奥に進むと、床を何かが滑っていくのに気づく。虫かなと思ってよく見ると、それは大きな水滴なのだった。
一つの水滴は蓮の葉を滑るように転がり、別の場所にある水滴につながる。滑ってきたそれは波紋になって吸い込まれ、代わりに大きな水のかたまりがゆっくりと動きはじめる。
ベネッセアートサイトwebサイトより引用
しずくの源を目で追ってみると、その源流には指でつまめるほどに小さい、玉の形をした彫刻があることがわかる。
蝋か大理石のようなその彫刻をしばらく見ていると、てっぺんに空いた小さな穴に水が盛り上がり、やがて重力に耐えられなくなってこぼれ落ちる。落下した水は床のゆるやかな傾斜をつたって他の水滴と合流し、別れ、やがて大きな水たまりにたどり着く。彫刻はひとつの泉であり、それが空間のなかにいくつも設置されている。
開口部になにかが光っているのを感じてよく見ると、穴の縁から薄いリボンが吊るされ、風の動きにしたがってふわふわと舞っているのに気づく。見えるか見えないかの細い光沢糸で織られたリボンは、ほとんど重さのない煙のように振る舞い、光を反射してきらきらと表情を変える。
この空間には沢山の繊細なものたちがあり、時間が経つにつれその一つ一つが見えるようになっていく。最初は何も見えないが、巧妙に設置されたオブジェクトにより、感覚の皮を剥がれるように、少しずつそれらに気付かされていく。
鑑賞者は思い思いの位置からリボンや小さな泉、皿の形をした彫刻、大きな水たまり、水が消えていく穴、光、糸、他の鑑賞者を眺めている。黒人や白人の方もいたが、みんな何か尊いものを見るような表情で佇んでいるのが不思議だった。
僕は、この空間は、自然を可視化する装置であり、豊島のミニチュアなのだと思った。
泉の彫刻は地下水によってなりたっており、その様子を見つめることで、豊島が豊かな湧水を持っていることがわかる。
リボンを見ることで、風のはこびと光の降る様子がわかり、空間の中に透明な空気が満たされていることが意識できる。
開口部から除く木々が、コンクリートのグレーと対比されて、いつもより鮮やかな緑色に見える。
この島は自然の中にあり、それはとても貴いということ。
豊島美術館は、一人の作家の感性を通して、それが追体験できるように設計されている。(豊島の歴史を調べると、そのことがいっそう大切なものだと感じられる)
インスタレーションには、サイト・スペシフィック、その場所でなければいけないものという形容があるが、この美術館はまさにそれだ。この島にもともとあった価値、しかし普段は意識もしないような当たり前のものごとを、はじめて地上を見るように鮮やかに感じさせてくれる。
美術館を出たあと、目の前にある景色をよく見ようと思った。
世界はとてもきれいだ。
それをどのように見て、どのように感じるかは、僕ら一人ひとりに託されているけれど。